25歳女子大生(イギリス)

25歳になりまして。イギリス留学も4年目、最終学年。正規留学生。日常の疑問意見不満から生々しい話まで。Fiction とNonfiction の狭間のお話

人と比べる/比べないで生きる

こんばんは、来週初めに提出のレポートがあるにもかかわらず嫌すぎて記事の更新にいそしむ女子大生です。

このレポートは本を読んで企業分析してそれについて書くみたいなレポートなんですけど、なにを分析するのか、まとめとはなんなのかがいまだにわからずここまで来てしまって、あ~~ってしています。

 

そんな感じの更新なので特に何をかく!ってこともなく、ここ最近よく友達に言われることから考えたことでも書こうかなと思ってます。

それがタイトルにある「人と比べる/比べないで生きる」です。

 

人と比べたってしょうがないでしょ!」「人は人!うちはうち!」って小学生くらいの頃までに親が言ってるイメージのセリフですよね。携帯がほしいやら、彼氏がほしいやら、門限がどうやら…なんとなーくマイナスなイメージを持ちがちなこの言葉なんですけど、普通に考えてそんなに悪い言葉じゃないですよね。

大学生になった瞬間に急激に増える”自分探しの旅ボーイ&ガールなんてまさにこれを求めてるんじゃないでしょうか。自分とは何だろう、人と同じことをしてもおもしろみがない、わたしはほかの人とは違うんだ…!!!が目的なら、まさしく「人は人、うちはうち」の精神だよね。

 

それだけではなく、わたしの留学しているところにはまあまあ正規留学生と交換留学生がいます。(これについては過去記事参照↓)

 

で、これは交換にも正規にも言える話だと思うんですけど、「海外に留学してる!わたしは頑張っている!すごい!」って意識がすごいんですよね。

ほぼみんな。いや、まあ確かに、日本で実家暮らしでテキトーに学校行って、テキトーにさぼって、テキトーにバイトして、サークルして飲み会して…みたいな日々と比べたら、多国語に囲まれて生活して、寮生活で、その中で授業うけてはすごいことなのかもしれない。でも、日本でも真面目に勉強して、しっかり生活して、バイトもサークルも楽しみながらって人はいるでしょ?しかも、全然自分より高学歴でそれでも起業したりもっともっとって貪欲にすごいことしてる人たちなんてたくさんいるじゃないですか。それなのになんでたかが留学、しかも交換留学だったり語学留学だったりする人が「わたし頑張っています!すごいでしょ!」みたいなふるまいができるのか本当に不思議でしょうがなかった。

 

でも!最近そのgapはなんなのかやっと気づけた気がしたんです。それが「人と比べる/比べない人生」。

いや、わかってたやん。って言われたらそれまでなんですけど。笑

 

わたしは小学生の時に私立の小学校に転校するまでは成績は必ずといってもいいほどトップもしくは上位にはいたし(所詮小学生なんですけど)、友達にも恵まれて、クラスのことはわたしがしきります!みたいなタイプのよくいる”小学生の女の子”だったんですよ。だけど、転校してから勉強のカリキュラムが違うのはもちろん、英語の授業が突然組み込まれ、小学生にして筆記体まではみんなが書けますの状態。毎年英語暗唱コンテストに選ばれるために英会話教室に通うなんて基本。週に1~2冊の読書も当然で、それに加えてボランティア活動までほぼ全員がこなす環境に、小さいころのわたしのプライドはズタズタにされました。懐かしい。(ちなみにこのとき、これもまたよくある”転校生って目立つからむかつく”って理由で通学時間の1時間、4人の女の子に囲まれてずっと悪口を言われるという日々を1か月半過ごしました。)

それでもそのときは”受験して私立に合格したんだから!”というかろうじてのプライドと、気の強さで乗り越えて中学に上がってもそこそこに成績も挽回し(といっても中間層レベル)、地位も部活も彼氏もなんだかんだ満足してたと思います。

 

がしかーーーし、高校生になって自分が身の丈に合わずも医学部にいく!なんて言い始めて塾に行き始めてから、2回目のプライド木っ端みじん。

というのもわたしの通っていた学校付近には最難関名門校と名高い灘高甲陽があり、彼らと同じ授業を受けていると嫌でもわかるんですよね。頭のつくりが違うのを。飲み込みのはやさとか云々以前に、なにをどうしたらそこにいきつくの?みたいな人たちにたくさんたくさん出会いました。最初はこれもまた”選抜試験突破して彼らと同じ授業を受けているんだから大丈夫だ!”というかろうじてのモチベーションとプライドで生きてたんですけど、甘い。甘すぎる。勘違いって怖いなって今だから心の底から思います。

その結果、まったく勉強してへんかったやん…みたいな灘甲陽の友達はちゃくちゃくと現役国立医学部、東大京大に合格し、わたしはおいていかれ、このときに「何をしても勝てない人っているよね」って気が付いたんだと思います。

 

ここでその気が付いたことによって「よし!身の丈に合った生き方をしよう!」となればよかったものの、そうはならなかったのが今のわたし。絶対に勝てない人を死ぬほど見てきたにも関わらず、「わたしならまだできるはず」「これ(無駄に高い目標)がしたい!!」といまだに思ってる自分がいるんですよね。

イギリスに来たのも、どうにかして挽回したくて、1番自分を追い込める方法はなんなのかって考えた結果なんですけど、全然物足りないというか。来たからにはちゃんと全部できることやれることしたい、したところででもわたしのいる大学はそこまで賢い大学ではないからもっとすごい人たちの足元にも及ばない…ときりのない妄想と日々戦って生きてる感じ。わたしの辞書に現状満足という言葉はない!みたいな。笑 (そんなんだったらもっと過去に頑張れよっていう話なんだけど)

 

このながーい話を交換留学に来てた友達にはなしたら「そんな人と比べてばっかりなんて生きててつらそうでやだわ~笑」とあざ笑うかのように言われ、むしろ”あ、現状に満足している人にはそういう捉えかたをされるのか。”と驚きました。

その友達いわく「自分が幸せならそれでいいじゃん」ってことらしいんですけど、それはわたしも全く同じ考えで、どれだけ批判されてもわたしが幸せならそれでいいやってスタンスで生きているくらいにはわがままに生きてる自覚はある。だからといって、もっとすごい人がいるっていう事実をしってぬかぬかと生活なんてしてられなくないですか…?

きっとこの意識の差っていうのは、育った環境なんですよね。周りに勝てない人を見てきたかどうか、狭いコミュニティーで優等生として生きてきたかとか。すごいね!って言われてきた人はきっと素直にすごいと自分を褒められるし、それが自信にもなるから人のことは気にせず自分は頑張っている、正しい!ってできるんだろうなって。そういう意味で成功体験ってめちゃくちゃ大事だなと心の底から思いました。

 

この話に結論はなくて、しいていうならばわたしの場合「理想とプライドと実力にかい離がありすぎるのに納得しない(できない)」ってだけだと思います。まだできるはず、本来ならできたはず、日本人ができたならわたしにもできる、みたいな意識のせいで、所詮その程度しかあなたはできないから…って現実から目をそらしては自らを生きにくい道に引っ張っていってるんだな~と。そしてこれは一生終わらない課題でありもはやアイデンティティーにすらなりえるのかもとさえ思いました。(でもこのとき頭によぎるのがかの有名漫画”ONE PIECE”のクロコダイルの言葉「理想とは実力の伴う者のみが口にできる現実である」です。)

 

たったこんだけのためにこんな長文使ったことに文才のなさを再確認するともに、ここまで読んでくれた方には感謝しかありません。笑

 

もやもやしていたことを吐き出せてスッキリしたのでそろそろレポートに取り掛かります。読んでいただきありがとうございました。

 

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