25歳女子大生(イギリス)

25歳になりまして。イギリス留学も4年目、最終学年。正規留学生。日常の疑問意見不満から生々しい話まで。Fiction とNonfiction の狭間のお話

苦あれば楽あり(と祈ってます)

こんばんは、なぜかchoromeが全部英語になり、このブログの設定なども英語になっていてちょっとannoyingな環境にいる女子大生です。

 

しばらく更新が途絶えたのも、私自身に更新する気持ちの余裕がない日々を送っていました。単純によくあるand数日で収まる「やる気喪失期間」かな~と思ってたら、なかなか終わらないどころか、部屋から出たくない、友達と話したくない、突然号泣する、後味の悪い映画が見たくなる、ご飯食べたくない、シャワー浴びたくない、寝付けない、寝てもすぐ起きる、ベッドから出れない、でもこんな生活してる場合じゃない…という負の循環に陥った1.2週間を送っていました。

なんか「私病んでます…」みたいなアピールするのは嫌いだし、アピールできるくらいには元気なんだったら大丈夫だよ!とか言いたくなるし、そんなことするつもりはないんだけど、想像もしなかったような感情とか行動とかが自分の身に起きてさすがにびっくりした。気が付いた時にはもはや笑うしかできなかったくらいにびっくり!

 

この時期に1番楽だった時間は、勉強してるとき。笑 間違いなくそれだけに集中してればいいってなると本当に楽だった。だらだらするの最悪…って思いながらも何もやる気はないわけで、主にそのまま寝るって選択だったけど、数回に1回勉強に取り掛かってみると、長時間は無理なものの気持ち的には楽で普段よりは結果的に勉強した(かも)。

 

疲れの原因をいろいろ考えてみたんですけど、「あ、私友達いないわ」ってなったのが一番の原因なのかなと。誤解ないようにいうと日本にはいます!!自慢じゃないけど親友がそこそこいます!最高の親友がいます!だけど、今この環境ではって話。

「友達」の定義によるかもしれないけど、ここで話すのは「日常生活でおきるあらゆる話を共有できる人」です。学校の話も愚痴もってこと。まあそんな人がいない。

去年から1番よく一緒にいる日本人の女の子がいるんだけど、その子とは学部が違って、というか根本的に考え方が違うのに去年は話せる日本人がその子くらいしかいなかったし、英語が話せない中にいる日本人っていう安心感が勝って仲良くできてたんだけど、今年はそれも埋めれないくらいの埋まらない何かがある。まああと去年は私のことを気にかけて定期的に救い出してくれる人たちが近くにいたからってのもあるのかな。今年、彼らはすこし遠いところに住んでいるから気軽に会えない。

 

前回の比べる比べない問題

とかもそうなんだけど、その子たちのいる学部って「比べないことが1番だよ!みんなが幸せになる方法を考えるよ!」みたいな学部なんですよ。だから日本人もかなり多いんだけど。しかもうちの学校のなかでも単位習得が簡単な学部Best3に入るようなところなのに、日々「私頑張ってる!」「かなりきつい日々だわ…」みたいなことを言われると、「????」みたいな気持ちになりますよね。こっちはあなたの倍の科目がありますけど。みたいな。笑 

まあそんなことで文句を言っても仕方ないけれど、そんなもやもやがあったり、生理がこなくて悩んだり、フラットメイトとの意思疎通がうまくいかなかったり、授業で理解できないことが増えてきたりといろんなことが重なりすぎました!

 

そんなこんなで今はかなり復活して、今日は久しぶりにジムにも行き、クラブにも行き、巻き返し!です!

とりあえず、私は絶対この生ぬるい環境に浸らない、満足しないことだけは決めました。実力をつけて意識高い系なんて言われないようにしようと思います。(過去記事参照)

 

また記事の更新を復活していきたいと思いますand楽しい記事をかけるようにしていくのでこれからも読んでいただけると嬉しいです~

イギリス留学する方やしてる方はコンタクトしてもらえるとさらに嬉しいです~!

(どなたかパソコンの直し方教えてくださると助かります…)

 

それではまた!

↓よろしくお願いします↓

 

  

 

奢る奢らない問題

昨夜のクラブ貸し切りハロウィーンパーティーではあまり酔いきれずにいた女子大生です。

こっちの仮装は日本の”かわいい~!”や”えろい!”を目的としたものではなく、がちの驚かせるための仮装が多いことが印象的でした。

 

あまり酔いきれなかったというのも、お酒の量自体がそこまで多くなかったのは事実として、めちゃくちゃに気分が害されることがあったからなんです。

それがタイトルにもある「奢る奢らない」問題。2回続けて whether or not みたいなタイトルでかっこ悪いことはおいといてもらって、本当に腹立たしい。

 

よく言われるのはデートの時に男の人が「奢る/奢らない」で女の子が文句を言うみたいなのがこの問題かなと思うんですけど、わたしの場合が違って、「わたしが奢るかお奢らない」の問題。

 

というのも、年下であろうと年上であろう(年上のことはほぼないけど)、いい女いい男には割と「払わせてください!ってなる節がわたしにはあります。それは別にかっこつけたいとかではなくて(むしろ年上に奢るとかはプライド傷つけるからよくないのかもしれないわけで)、「わたしと過ごしてくれてありがとう!これからも末永くお付き合いしてください!そんなこと面と向かっていうのは恥ずかしいのでせめて少しでも出させてください!」「ここはおごるからもう少しだけわたしといてもらえません…?」「いい話聞かせてくれてありがとう!」っていう感じなんですね。わかる?笑

 

簡潔に言うと「この人といる価値がある=奢りたい」になるのかな。だからある意味、この後セックスしていいよって空気だされたら奢ってもいいかな?みたいな場合もあるわけでして。笑

 

まあそれはともかく、「いいやつ」であることは必須条件なんですよ。人としていいのか、男としていいのか、女としていいのか、とかは時と場合によるとしても”いい”人でないとだめなわけで。

 

それがですね、昨日は日本人のくずな男にたかられまして。

まず、パーティー会場のクラブに行くのに友達と約束をしてたのでタクシーをわたしが予約したんですね。そこにその人が急に入れてくれと言い出しまして。まあ人数に余裕はあるからいいよと。その方が割り勘で安くなりますし。

で、いざタクシーに乗ったら、「お金だしてくれるよね?!ありがとう~!笑笑」みたいなテンションでずっというてきまして。その時点でわたしからしてみれば「お前なに様?」なわけで。でも友達もいるし、これから楽しみにいくのにこんなことで腹を立てても仕方がないので笑ってやりすごそうとするも、結局到着するまでそれが続き、とりあえずまとめて払うということでわたしが出しました。

クラブに到着後、クロークに預ける時にめんどくさいからタクシー代の代わりに出しといて~と友達に渡したら、なぜかその男まで「俺のも~」と。

 

は…???

 

で、結局自分の分は自分で出しその人のはもちろん無視したんですけど、もうそのあとからその人の顔を見るのも絡まれるのも嫌で、同じダンスフロアにいるだけで気分悪い。ほんとなに。みたいな。

 

”いい”人であることが条件!とは言ったけれど、それって大前提として「常識がある」人じゃないですか。

まずタクシー。もともといなかったところに乗せてもらっといてお礼がないどころか奢れと。なんだそれは。むしろ乗せてもらったからここは払うわくらいの心意気じゃないんですか。なにが「おごって~笑」だよ。へらへらしてんじゃねーよ。

 

しかも、休学して語学留学とかいうちょーーー中途半端なことして来て残り数か月で帰るわけで、そしたら「お前の評判落としてから帰るわ~笑」とか。もうさ、それで笑い取れると思ってるその感性疑うよね。ほんと頭おかしいのかと思った。

で、クラブについてからもお金ないとか。両手すり合わせてごちそうさまですとかふざけてる。ヒモになりたいとか普通に言っちゃう時点で人としておかしいとは思うけどね。

 

だいたいさ、「奢ってください」って言わないと奢ってもらえないような男がいい男なわけないじゃん。その程度の男だって気が付かないことが恥ずかしすぎる。それに加えて常識もないなんてわたしは恥ずかしくて友達としてもいたくない。プライドもくそもないやつに出すお金はない!!それなら捨てる方がまし!!

 

まあ完全なる愚痴でしかなくて申し訳ない気持ちでたくさんなんですけど、本当に気分の悪いパーティーでした。

とにかく、わたしはこれからもいい人には奢りたいと思うし、自分もおごられるような女になりたいとおもいます。

あーかっこよく生きよう。

 

よかったらよろしくお願いします。

  

 

人と比べる/比べないで生きる

こんばんは、来週初めに提出のレポートがあるにもかかわらず嫌すぎて記事の更新にいそしむ女子大生です。

このレポートは本を読んで企業分析してそれについて書くみたいなレポートなんですけど、なにを分析するのか、まとめとはなんなのかがいまだにわからずここまで来てしまって、あ~~ってしています。

 

そんな感じの更新なので特に何をかく!ってこともなく、ここ最近よく友達に言われることから考えたことでも書こうかなと思ってます。

それがタイトルにある「人と比べる/比べないで生きる」です。

 

人と比べたってしょうがないでしょ!」「人は人!うちはうち!」って小学生くらいの頃までに親が言ってるイメージのセリフですよね。携帯がほしいやら、彼氏がほしいやら、門限がどうやら…なんとなーくマイナスなイメージを持ちがちなこの言葉なんですけど、普通に考えてそんなに悪い言葉じゃないですよね。

大学生になった瞬間に急激に増える”自分探しの旅ボーイ&ガールなんてまさにこれを求めてるんじゃないでしょうか。自分とは何だろう、人と同じことをしてもおもしろみがない、わたしはほかの人とは違うんだ…!!!が目的なら、まさしく「人は人、うちはうち」の精神だよね。

 

それだけではなく、わたしの留学しているところにはまあまあ正規留学生と交換留学生がいます。(これについては過去記事参照↓)

 

で、これは交換にも正規にも言える話だと思うんですけど、「海外に留学してる!わたしは頑張っている!すごい!」って意識がすごいんですよね。

ほぼみんな。いや、まあ確かに、日本で実家暮らしでテキトーに学校行って、テキトーにさぼって、テキトーにバイトして、サークルして飲み会して…みたいな日々と比べたら、多国語に囲まれて生活して、寮生活で、その中で授業うけてはすごいことなのかもしれない。でも、日本でも真面目に勉強して、しっかり生活して、バイトもサークルも楽しみながらって人はいるでしょ?しかも、全然自分より高学歴でそれでも起業したりもっともっとって貪欲にすごいことしてる人たちなんてたくさんいるじゃないですか。それなのになんでたかが留学、しかも交換留学だったり語学留学だったりする人が「わたし頑張っています!すごいでしょ!」みたいなふるまいができるのか本当に不思議でしょうがなかった。

 

でも!最近そのgapはなんなのかやっと気づけた気がしたんです。それが「人と比べる/比べない人生」。

いや、わかってたやん。って言われたらそれまでなんですけど。笑

 

わたしは小学生の時に私立の小学校に転校するまでは成績は必ずといってもいいほどトップもしくは上位にはいたし(所詮小学生なんですけど)、友達にも恵まれて、クラスのことはわたしがしきります!みたいなタイプのよくいる”小学生の女の子”だったんですよ。だけど、転校してから勉強のカリキュラムが違うのはもちろん、英語の授業が突然組み込まれ、小学生にして筆記体まではみんなが書けますの状態。毎年英語暗唱コンテストに選ばれるために英会話教室に通うなんて基本。週に1~2冊の読書も当然で、それに加えてボランティア活動までほぼ全員がこなす環境に、小さいころのわたしのプライドはズタズタにされました。懐かしい。(ちなみにこのとき、これもまたよくある”転校生って目立つからむかつく”って理由で通学時間の1時間、4人の女の子に囲まれてずっと悪口を言われるという日々を1か月半過ごしました。)

それでもそのときは”受験して私立に合格したんだから!”というかろうじてのプライドと、気の強さで乗り越えて中学に上がってもそこそこに成績も挽回し(といっても中間層レベル)、地位も部活も彼氏もなんだかんだ満足してたと思います。

 

がしかーーーし、高校生になって自分が身の丈に合わずも医学部にいく!なんて言い始めて塾に行き始めてから、2回目のプライド木っ端みじん。

というのもわたしの通っていた学校付近には最難関名門校と名高い灘高甲陽があり、彼らと同じ授業を受けていると嫌でもわかるんですよね。頭のつくりが違うのを。飲み込みのはやさとか云々以前に、なにをどうしたらそこにいきつくの?みたいな人たちにたくさんたくさん出会いました。最初はこれもまた”選抜試験突破して彼らと同じ授業を受けているんだから大丈夫だ!”というかろうじてのモチベーションとプライドで生きてたんですけど、甘い。甘すぎる。勘違いって怖いなって今だから心の底から思います。

その結果、まったく勉強してへんかったやん…みたいな灘甲陽の友達はちゃくちゃくと現役国立医学部、東大京大に合格し、わたしはおいていかれ、このときに「何をしても勝てない人っているよね」って気が付いたんだと思います。

 

ここでその気が付いたことによって「よし!身の丈に合った生き方をしよう!」となればよかったものの、そうはならなかったのが今のわたし。絶対に勝てない人を死ぬほど見てきたにも関わらず、「わたしならまだできるはず」「これ(無駄に高い目標)がしたい!!」といまだに思ってる自分がいるんですよね。

イギリスに来たのも、どうにかして挽回したくて、1番自分を追い込める方法はなんなのかって考えた結果なんですけど、全然物足りないというか。来たからにはちゃんと全部できることやれることしたい、したところででもわたしのいる大学はそこまで賢い大学ではないからもっとすごい人たちの足元にも及ばない…ときりのない妄想と日々戦って生きてる感じ。わたしの辞書に現状満足という言葉はない!みたいな。笑 (そんなんだったらもっと過去に頑張れよっていう話なんだけど)

 

このながーい話を交換留学に来てた友達にはなしたら「そんな人と比べてばっかりなんて生きててつらそうでやだわ~笑」とあざ笑うかのように言われ、むしろ”あ、現状に満足している人にはそういう捉えかたをされるのか。”と驚きました。

その友達いわく「自分が幸せならそれでいいじゃん」ってことらしいんですけど、それはわたしも全く同じ考えで、どれだけ批判されてもわたしが幸せならそれでいいやってスタンスで生きているくらいにはわがままに生きてる自覚はある。だからといって、もっとすごい人がいるっていう事実をしってぬかぬかと生活なんてしてられなくないですか…?

きっとこの意識の差っていうのは、育った環境なんですよね。周りに勝てない人を見てきたかどうか、狭いコミュニティーで優等生として生きてきたかとか。すごいね!って言われてきた人はきっと素直にすごいと自分を褒められるし、それが自信にもなるから人のことは気にせず自分は頑張っている、正しい!ってできるんだろうなって。そういう意味で成功体験ってめちゃくちゃ大事だなと心の底から思いました。

 

この話に結論はなくて、しいていうならばわたしの場合「理想とプライドと実力にかい離がありすぎるのに納得しない(できない)」ってだけだと思います。まだできるはず、本来ならできたはず、日本人ができたならわたしにもできる、みたいな意識のせいで、所詮その程度しかあなたはできないから…って現実から目をそらしては自らを生きにくい道に引っ張っていってるんだな~と。そしてこれは一生終わらない課題でありもはやアイデンティティーにすらなりえるのかもとさえ思いました。(でもこのとき頭によぎるのがかの有名漫画”ONE PIECE”のクロコダイルの言葉「理想とは実力の伴う者のみが口にできる現実である」です。)

 

たったこんだけのためにこんな長文使ったことに文才のなさを再確認するともに、ここまで読んでくれた方には感謝しかありません。笑

 

もやもやしていたことを吐き出せてスッキリしたのでそろそろレポートに取り掛かります。読んでいただきありがとうございました。

 

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